Let’s date!
その1








ごし、ごし

まだ辺りはほの暗く冷え込む朝5時、少女は一心不乱に床を丁寧に磨き上げていた。

「そこに誰かいるのか?」

刺々しい鋭い声に少女は身をすくめる。

徐々に蝋燭の灯りと共に近づいてきた。

やがて、蝋燭の炎が少女を照らす。

「――― 千尋」

声の持ち主は、面食らったようになって、その内に オハコの仏頂面を浮かべる。

「そなたは何をしているのだ。まだ働かなくても良いというのに」

千尋はむっとして、床を擦る雑巾を止めた。


「ハク様は、わたしが磨いた床はいつも綺麗でないとおっしゃいますので、こうして人1倍時間をかけて、遅れをとらないようにしています」

ハクは溜息をふぅ〜〜っと漏らす。

男心が分かっても良いだろうに

『どういう男心だ!』
リンがいたら、即座につっこむだろう。


ハクは、人1倍鈍い千尋には少し分からないのかもしれないと悟った。

「それより、千尋、確か今日はお休みではなかったかな?」

ハクはにこりと微笑みつつ問う。

「あれ?そうだっけ。今日はゆっくりしようかな」

千尋は、ぽかんと口を開いて、その内に安堵の色が広がった。

そして、千尋はしなやかに1つ欠伸を漏らす。

ハクに杓子定規で1礼すると、パタパタと音を立てて、女部屋に戻って行った。


「やれやれ、あと片付けを忘れてしまったようだね」

ハクは困ったように微笑を浮かべつつ、真っ黒な雑巾に比例して汚れた水を見つめた。


朝10時、油屋の仕事が始まった。

「リン、千はどうしている?」

「寝てるさ」

妹分のことを聞かれたリンは、少年に答えた。

「なにしろ、おまえにいっつも、雑巾がけエトセトラ―、叱咤されて千の奴最近、朝3時起きで頑張ってたからなぁ。おまえも罪深い男だねぇ」

リンがにやりと口元に笑みを作りつつ言った。

ハクは現状を知り、おろおろと当惑し始める。

―――やっぱりわたしのせいか(初めから、そう言ってます)

「どうしよう、千尋に『そなたが気になって、見ている為に叱っていた』なんて言ったら」

「おまいはスパイか!いやストーカーかもしれん」

ハクはリンの言葉に気にする余裕はないらしく、頭を抱える。



(コイツ、男=スパイという思考回路が出来上がっているのかもしれん。
 千に良く注意しておかないと)

リンは密かに心の中で呟いた。



「リン、そなたしかいない。わたしには言えん。(それに、ちょっと千尋の反応が怖そうだ)それとなく千尋に伝えておいてくれ」

ハクは悩んだ末にそれが1番だと思ったらしい

リンの肩にポンっと両手を置きつつ言った。


その、返答にリンは眉をぐっと寄せる。

「回りくどいぞ。それにおまえが言えんものはオレも言えんと相場は決まってる」

リンはしかめっ面をして答えた。

そして、リンはバンバンとしきりにハクの背中を叩き始める。

「HA!HA!HA!HA!HA!
なぁ〜に、気にすんなって!今時、似合わん、バカなおかっぱ頭が何を言うか」

リンはからからと笑いつつ、続ける。

「いつもあんなに歯が浮くようなことを言ってる奴が、細かいことを気にすんな!」

ハクはわなわなと手を震わせた。

「リン!」

ハクは声を張り上げた。

その時だ、湯煙が立ち込める中、

湯女が湯殿の渡り廊下を通って行く。


「千がね、坊様とデートすることになったんだって!」

「キャ―――ホント?」

そして湯女の声は深く白い湯煙の中に消えて行き、声も小さくなっていった。

しかし、2人の頭にしっかりメモリーされたらしい。

「千は、坊という異なる歯車を回し始めた」

リンは、ぽそりと口の中で呟く。

「イヤだ―――――!!!」



ハクは叫び声に近いものをあげて耳を押さえる。

「ひょッ!」

リンは声のあまりに飛びのいた。

ついに壊れたか・・・

リンはハクの壊れように呆気をとられていた。



「リン、わたしは千尋を奪ってくる!」

ハクはリンに宣言した。


「おぉ、元に戻ったか。でもそれではおまいホントにストーカーになるゾ」

リンの反論は物ともせず、
ハクはシャキッと仁王立ちしてリンに人差し指で指した。

「そんなこと言っても無駄だ!坊も千尋が欲しければ奪い返せば良い」


ハクはすたすたと坊の自室に向かって行く。

「アイツ、千に変な目で見られるんじゃないか?まぁ、ハクを好きになる奴だからな」

リンは、スパイの美学に磨きをかけるハクの後姿を見つつ口の中で呟いた。




コバルトブルーの海を背景に、千尋は坊と歩き出していた。

湯婆婆の急な呼び出しにより、千尋は「デート」の役目を預かった。

―――困ったわ、これは初デートというもの、デートは男がエスコートするというけれど相手はわたしよりお子ちゃまだ。

千尋は仲良く坊と手は繋いでいて、とりあえず、それらしくしたつもりだ。

千尋は帽子にポニーテールを下ろし、現実の世界の普段着を着こなしていた。

「坊、どこ行きたい?」

千尋はにこりと微笑んで尋ねると、坊は俯く。

―――どこにも行きたいところがないのかもしれない
   
―――ハクだったらこんな時どうする?

いつも冷静沈着で、即座に判断する彼。彼の辞書に『動じる』という文字はない。

羨ましいと思いつつ、ふぅっと溜息を漏らす。


それよりこの状態をどうハクやリンに説明しようか?

千尋は頭を悩ましげに抱えた。


『これは偶然で!』

千尋は弁解するが、ハクは冷たく、言い放つだろう。

『ふ〜ん、千尋のことを好きだと公言する奴とデートね』


リンも又、きっとデートと決め付けるだろう。

『デートはデート おまえ、二股かけんの?』

自問自答で頭の中でインスピレーションするが、

どうやら言い逃れ出来ないらしい・・・


千尋は一層、深く溜息を漏らす。




呼び出しとは本当に突然の物だった。

「千、デートしな」

急な呼び出しに湯婆婆のこの、お言葉に千尋は頭の中が真っ白になった。

そして千尋は何か思いついたらしく、おろおろし始める。

「大変!お婆ちゃんが熱出しちゃった!大丈夫、お婆ちゃん?
高齢者の風邪は危険なのよ」

1人で騒ぐ千尋に、湯婆婆はその華奢な身体の前に、こめかみに青筋を浮かべつつ降り立った。

「誰がお婆ちゃんだい!それに、高齢者じゃない!わたしは、まだ若いんだよ!!よ〜く覚えときな!

デートしな!、そうしたら明日も休暇をつけてやるが、そうでなければ、子豚にしてやる!」

千尋は華奢な身体に指を立てた、その強さは爪が食い込むくらいだ。

(怖ぃ〜〜 、初めて会った時より怖いのでは?)

その時、千尋の脳裏にあるリンの教えの言葉が過ぎる。

『おまえを狙ってる奴は多いんだ、気をつけろ』

リン、相手は湯婆婆だったのね。
(お婆ちゃんにもててもあんまり嬉しくないけれど)


「あの、わたし、そういう方面は興味ありませんので・・・でも子豚にされたくはありません!それならデートします」

千尋にとって、デート+休暇つきの特典と子豚を天秤にかけたら言うまでもないが、

奮えながら、必死に搾り出した声だった。



湯婆婆は面食らって瞳を大きく見開く。

「何言ってるんだい?相手はわたしじゃなくて坊さ」

坊・・・
坊=男の子=子供=かなりの年下=デート=お遊戯

千尋の思考回路が出来あがっていた。

「心配して損した・・・」

千尋はそう言いつつ、その場に崩れ落ちたのだ。


キラキラと光る海を見つつ、

今、千尋は坊と一応デートしているところだった。



千尋はふと、現実に引き戻される。

―――゛神は嫉妬深い゛と聞く

―――リンは ゛気をつけろ、いつもおまえを見ている ゛と言っていた

千尋は後ろをバッと振り向いた。



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