ハウルの動く城
<<映画>>



11/29に見にいったよの巻


時間が出来たので見に行きました。入れ替えがなかったので2回続けて見てしまいました。流石に4時間ぶっつづけで見ると疲れた……(@▽@)。

で。
今回見て分かったこと。

これってハウルとソフィーのラブストーリーであると同時に家族愛の話でもあったんですね!!!!!(今更分かった)

 原作を買って読んでみたのですが、そこから映画の方を推測するに、ソフィーと母親は血が繋がっていないようです。妹のレティーは母親と見分けがつかない程にそっくりなので血の繋がりはあると思われますが。ということは、ソフィーは両親ともに亡くなっており天涯孤独の身ということになります。母親とは表だって喧嘩をしている感じではないですが、母親の方は夫が残した店をほったらかしてあちこち飛び回っているらしく、その上本当はその店の主人と同等の権力を持つ筈のソフィーは、雇われ人と同じ扱いをされているようです。決して幸せだったとは言えません。
 ハウルの家族の事は魔法使いの伯父(叔父?)がいたという事しか出てきません。しかも過去形で語られてるので恐らくもう亡くなっているのでしょう。夏の間は一人で過ごした、という処から両親もとうに亡く、日頃は魔法学校で過ごし、夏休み等に入ると行き場のないハウルはあの小さな家にやってきてずっと一人で過ごしていたのではないかと思います。ハリーポッターでも長い休みになると皆各自家に帰っている描写があるので、ハウルもそうだったのではないかな、と。もしかしたらソフィー以上に家族の愛(もっと具体的に言えば母親の愛)を知らないのでしょう。
色んな女性との浮き名もあるようですが、そのどれもが「魔法使いハウル」という名声に対しての愛情であったのかもしれません。元々繊細で傷つきやすいハウルはすぐにそれを見抜き、次から次へと女性を渡り歩いたのではないでしょうか。それが尾ひれがついて「ハウルは若い娘の心臓を食べる」という噂になったのかと思われます。(原作では故意に流してましたが)
 荒地の魔女。50年キングスベリーの王宮に戻ることだけを夢見ていた、と言うところから、ずっとそれだけを思い画策していたのでしょう。周りにいるのがあの泥人形のような使い魔だけなのを見ると、家族は全くいないと思われます。
 マルクル。ハウルの城に転がり込んだ身よりのない男の子、ということで、この歳(どう見繕っても6、7歳くらいでしょう)であそこまでしっかりしているという事はそれまでかなり苦労して生きてきたことになります。マルクルの身の上が語られることはありませんが、ソフィーへの傾倒ぶりをみると相当母親の愛に飢えていたように思います。
 ヒンはまぁ論外として。
 そう考えると、ソフィーがあの城の中で母親としての位置づけにいるからこそ、ハウルもマルクルも荒地の魔女もヒンもあそこまで仲良く暮らせるのだろう、という結論に(勝手に)至りました。
ソフィーも皆に必要とされているところから自分の居場所を見つけ、疑似家族の核としての立場を手に入れたのでしょう。
 ハウルが父親、ソフィーが母親、マルクルが子供、魔女が姑、ヒンがペットと考えるとちゃんと家族としての構成になります。

さて、原作を読んだと先ほど書きましたが、映画と原作は全く違います。さすがに主役のハウルとソフィーの設定は一緒ですが、他キャラについては全然違います。どちらがいいかは好みの問題かもしれませんが、映画のなかでハッキリしなかった事が原作を読むとクリアになります。






 ここから下は原作を読んで映画を見た後の、私の勝手な推論です。
小説を書くためには強引でも設定を固めておかなければならないので、それを承知の上読んでもらえればと思います。

 映画のなかで何度も「ハウルは心をとられた」というサリマンの言葉や荒地の魔女の言葉がありますが、実際にハウルが心を失っていた訳ではないようです。流れ星として落ちて来たカルシファーは、本当ならば大地や湖に落ちて死ぬところを幼いハウルに受け止められ、生きながらえる代わりにハウルの力となる契約を結びました。その結果、ハウルの心臓にカルシファーが宿り、カルシファーの本体はハウルのなかに残ることになりました。これがカルシファーとの契約です。
で、映画の最後で「小鳥のように動いてる」「子供のまんまだからね」というソフィーとカルシファーとの会話がありました。つまりハウルの身体が成長しても心臓はカルシファーの元にある為、心は子供のまま成長していないという事になるのではないでしょうか。
そう考えるとソフィーに心を開いた途端に甘えるような言葉かけをしたり、思い通りにいかないとかんしゃくを起こしたり、悪だと思うと思慮なくすぐに攻撃をしてしまうハウルの行動は、カルシファーと契約を結んだ時の子供の精神状態のままであるが故、となり、自分の考えるまま魔法を使い力を押さえようとしないハウルに対してサリマンが危惧を覚えるのももっともか、と思われます。
心をとられた、というのはそのまま心臓をとられた……という記述の比喩なのかもしれない、と私は判断をしました。
 さてさて、ハウルが流れ星をとった、というのは魔法使いならば周知の事実のようです。
荒地の魔女も「流れ星に〜」というくだりから始まる手紙を出しておりますので、荒地の魔女が知っているくらいならばサリマンも知っているでしょう。悪魔と契約し大切なものを渡した、というのはハウルがカルシファーに自分の心臓を差し出したということに他なりませんので。
そこで問題になるのは、サリマンが魔法を使う時にいつもカルシファー達のような流れ星の精霊(?)が必ずちらつくという事です。
―――この辺りから推測出来るのはただ一つ。サリマンもカルシファーのような悪魔と契約を結んでいる、若しくは使役出来るほどの強大な力を持っているということ。
……くらいしかないですよねぇ(汗)。あ、それかサリマンは実は人間じゃないとか。(そっちの方が信憑性ありそうです)
前半は荒地の魔女に、後半はサリマンに居場所を探されていたハウルですが、二人ともハウルの力(カルシファーの存在を見越しての可能性が高いかな)が目的で、決してハウル本人が目的ではありません。
ハウルの心臓を人質にとればカルシファーもハウルも自分の思い通りに動かすことが可能になります。しかしサリマン自身はそれよりもソフィーを使った方がハウルを籠絡するのは早い、と判断したようですね。実際ソフィーの母が尋ねてきたことで全てが一変しましたし。
ただサリマンも恐らく予想外だったのが、きっとソフィーの行動力でしょう。



……思い切ったら千尋以上のおっそろしい事をしてくれそうです、ソフィー(汗)。





だいぶ設定も固まってきたので、もうちょっとハウルの小説を書けそうです。
ただ……せんちひと違い、どんどんヤバい方向へと進みそうなのが怖いです(汗)。